2006/11/02 作成
2015/11/10 更新
![]() |
1949年、戦後初の対東北学院定期戦で持ちられたユニフォーム。白地に、現在の校章に用いられている物に近い、デザインされたフォントで胸に大きくアルファベットの「A」がつけられているユニフォームです。資料がモノクロのみであるので、「A」の色味は分かりませんが、若干薄い色なので、くすんだ緑で表現しています。 |
![]() |
おそらく戦後から1950年代にかけて使用されたユニフォームです。 白地に胸に大きくアルファベットの「A」がつけられているのが特徴です。資料がモノクロのみであるので、「A」の色味がわかりませんが、図では緑で表現しています。 |
![]() |
おそらく1960年代前半頃に使用されたユニフォームです。 現在の大学の校章にある字体に近い文字で、左胸に「A」とつけられています。 |
![]() |
スクールカラーの一つであり、最も主要な色であるダークグリーンを使用。胸には「信仰の盾」の校章をつけています。 一説には、大学としての箱根駅伝初出場時に合わせて作成されたともされています。 また、関東学生対校において1部校であった時期は、このユニフォームの時代でした。アルファベット1文字や校章が主流である他の大学同様、大学名ではなく、校章を用いていました。 パンツの色はダークグリーンが基本でしたが、白を用いる選手もいたようです。 |
![]() |
確認できる限り、1988年度に使用されたユニフォーム。白地に紺の帯、白抜きで「青山学院大」と入れられています。 上記のダークグリーンのユニフォームは通気性の悪い綿の素材であった為に、この頃から進歩してきたスポーツウェアの中で、簡易にオーダーできるユニフォームが採用されたのではないかと推察されます。特にスクールカラーへの意識・配慮は見受けられません。 |
![]() |
やはり確認できる限り、1989年度に使用されたユニフォーム。 白地に緑色で校章と「AOYAMA」の文字がプリントされています。上記のユニフォームよりは校章・スクールカラーへの意識はあるユニフォームでした。 |
![]() |
遅くとも1992年度から1996年度までに使用されたユニフォーム。 スクールカラーのひとつ、ターコイズブルーを用いたユニフォームで、胸に明朝体の大学推奨フォントのものによって「青山学院大」と入れられています。 ある程度の期間用いられたこと、またターコイズブルーを用いる大学はほとんど無かった為、他大学にも浸透したユニフォームであったのではないでしょうか。 ただし、このユニフォームは既製品であり、年度によって微妙な差異もあったようです。 |
![]() |
第70回箱根駅伝予選会の際に用いられたユニフォームで、ちょうど1960年代~1980年代に用いられたユニフォームの逆の配色になっています。 このユニフォームが作成された理由は記念大会増枠もあり、18年ぶりの箱根駅伝出場が十分狙えたこの年、他大学の注意を逸らす為に、特徴的なターコイズブルーのユニフォームではなく、上下白のユニフォームが作成されました。しかも校章を用いたのは、「この校章なら青学とは分からないだろう。」という、関東インカレ1部校時代のOB・OGからすると少し寂しい意図もあったようです。 この回の箱根駅伝予選会は、非常に高温多湿のレースになったので、白のユニフォームは暑熱対策にもなっていました。 しかし、残念ながら本学は僅差の次点に終わり、箱根駅伝出場権獲得はなりませんでした。 |
![]() |
前部長の伊藤文雄教授(当時・国際政治経済学部長/現・学校法人青山学院顧問)の就任に伴い、変更され、現在も使用されているユニフォーム。 約10年ぶりに主要スクールカラーのダークグリーンが復活し、伊藤先生の自筆の「青学大」の文字が胸にプリントされています。 パンツには小さいながらも校章もつけられています。 青学大の文字が大きく書かれていることや、上下ともダークグリーンというのも特徴的であり、おなじみとなっているユニフォームといえるでしょう。 |
![]() |
第81回箱根駅伝・関東学連選抜第1区において、本学の佐藤良仁選手(現・トーエネック)が着用したユニフォーム。 明るい青色に白と緑がアクセントの配色で、胸には「AOYAMA(最初のAは他の文字より大きい)」と書かれています。 本学のスクールカラーにはない、青を使用していた為、沿道で応援に来ていたOB・OGが見つけられずに通過してしまったということがありました。 翌年の第82回大会で関東学連選抜第4区に出場した仲村一孝選手は上記のダークグリーンのユニフォームで出場しました。 |
![]() |
第85回箱根駅伝予選会から、駅伝(予選会含む)出場時に使用されているユニフォームです。 ダークグリーンを基調として、肩の部分と身頃脇の部分は黄緑色の地にダークグリーンのドット柄が入っています。白のパイピングが胸とパンツにも入っており、かなり込み入ったデザインになっています。 33年ぶりの箱根駅伝出場権を得たユニフォーム、そして第85回箱根駅伝出場、翌年の41年ぶりのシード権獲得、そして第88回大会での、初の区間賞、初の3大会連続シード権獲得、そして最高位更新の総合5位と、歴史を再び動かし、歴史を塗り替えてきたユニフォームとなりました。 しかし、大学駅伝、学生陸上競技のユニフォームはクラシカル(古風)な、装飾のないデザインが一般的であり、それが歴史と伝統を表現しているものでもあります。 本学は第88回箱根駅伝の単独出場校19校のうち、7番目に古い出場校でした。その本学の伝統、歴史を重んじた、かつての箱根駅伝出場当時の「信仰の盾」ユニフォームが相応しいのではないかと考えます。 なお、観戦している際、第5区・第6区の選手は普段の白地に緑色の帯の半袖チームTシャツで、白色と緑色を基調とした他の大学と紛らわしいと感じられます。ぜひ第5区・第6区の選手のシャツも緑色の地で作成して頂きたいと思います。 また、襷の脇の白いラインも不要ではないかと思います。第85回大会は白色に「フレッシュグリーン」と呼ばれる緑色のラインが入っていたものでしたが、第87回大会からかつての襷とほぼ同様な、「フレッシュグリーン」地に白ラインへ変わりました。 箱根駅伝初出場校はこれまで使用されている襷の色と同じ色にならないように配慮されており、本学もブランクが長いことを考慮して当初、白色に緑色のラインを入れたのかもしれませんが、第88回大会でも7番目に古い学校であり、かつて明るい緑色の襷を使用していたことを考えると、白いラインは外して良いのではないでしょうか。 |
![]() |
2012年度、中長距離ブロックはアディダスジャパンからユニフォームの提供を受ける事になり、ユニフォームデザインが一新されました。 エメラルドグリーンを基調にして、ショーツの脇とパンツは少し暗いトーンの色を使っています。鎖骨部分とパンツの脇にはアディダス特有の三本線があしらわれています。胸には従来の伊藤文雄氏筆の「青学大」から一般的な楷書体で「青山学院」となり、大学の略称から、学院名のみに変更されています。 このユニフォームに変更されて初めての駅伝、出雲駅伝でいきなり大学駅伝初タイトル獲得、その後もこのユニフォームで活躍を重ね、2014年度には箱根駅伝初制覇を果たしました。前回のユニフォームが再び歴史を動かし、塗り替えたユニフォームなら、今回は頂点を極めたユニフォームと言えます。 なお、このユニフォームは駅伝のみならず、関東インカレなどのトラックレースでも用いられます。また、短距離ブロックの使用しているユニフォームとは共通性は完全になくなっています。従来はトラックレースではメーカーこそ違いましたが同一デザインでした。駅伝用も色の系統も同系色で「青学大」の文字は同じでした。 38年ぶりの関東インカレ1部昇格を決める瞬間、中長距離ブロックはこのユニフォームで5000mを走り、短距離ブロックが濃緑のユニフォームで走幅跳を戦っているという状態で、同じチームという印象がありませんでした。 理想は男子短距離も男子長距離も女子短距離も同じユニフォームで戦うのが良いと思います。せめて関東インカレ、日本インカレは同じチームとして、同じユニフォームで揃えて欲しいものです。そうするとダークグリーンのユニフォームに信仰の盾の校章を中心としたユニフォームがやはりふさわしいのではないでしょうか。現在の女子短距離のユニフォームが校章が右胸にあること以外はその条件に当てはまります。右胸にあることもユニフォームの形状を考えると自然です。 |