青山学院大学陸上競技部の歴史

2022/12/25 更新

第8章 復活・栄光期 箱根駅伝・関東インカレ1部復帰 女子の活躍
  2004(平成16)~2014(平成26)年度
 ★年表のみ2021(令和3)年度まで更新

第1節 強化指定部制導入で長距離の環境面充実

1975(昭和50)年度の以来の箱根駅伝復帰に向けて、2004(平成16)年度から本格的な強化が始まった。その原動力となったのも、体育会本部長も主務と並行して務めていた今北である。今北が本学体育会全体の事を考え、環境や入試制度の充実などを学長に訴えたことが大学を動かしたのである。今北は対外的にも内部の活動でも本学の現在の繁栄の基礎を作った功労者である。これにより、陸上競技部、硬式野球部、ラグビー部が強化指定部となり、強化指定部制での入試を実施し、今まで以上の選手獲得ができ、その他の環境面でも支援が受けられるようになった。陸上競技部は町田市に町田寮が開寮し、生活面での充実がはかられた。また、世羅高―中京大―中国電力と競技に取り組み、中京大時代には日本インカレ5000m3位の実績を持つ原晋氏を招聘し、基本的に部の指導に専任する体制を取った。

第2節 箱根駅伝33年ぶり復活までの道のり

2004(平成16)年度から強化指定部制で生活面、指導面の充実がはかられた長距離ブロックは、徐々に実力を蓄えていった。しかし、旧来の体制からの変化に戸惑う選手もおり、劇的な上昇までは認められない面もあった。箱根駅伝予選会の結果は2004(平成16)年度は16位と1つの順位上昇、2005(平成17)年度は13位まで上昇したが、9位まではまだあと一歩という状況であった。そして、3年目を迎えた2006(平成18)年度は16位と当時の選手層からは予想を超える順位の下降であった。こうして、箱根駅伝復活への道のりはまだ遠いと感じさせられ、失望も大きく、逆風も強くなった。そんな中、翌2007(平成19)年度は危機感を持ってチームが団結し、純粋な競技時間では9つの枠に入る健闘を見せた。ただし、先述の関東インカレポイントのある時代だったため、逆転で出場権を逃したが、あと一つという所までにこぎつけた。そして、翌2008(平成20)年度は選手層が薄くなり、故障者も多かったが、節目の回(第85回)という説明で枠が3つ増枠され、その最後の枠に滑り込む形で33年ぶりの箱根駅伝復帰は成し遂げられたのである。

第3節 女子短距離陣が関東、日本インカレで複数の優勝の活躍

1999(平成11)年度から短距離のコーチ、そしてその後短距離監督として指導してこられた安井年文によって、女子短距離選手の活躍が目立つようになってきた。00年代前半から中盤にかけては2001(平成13)~2005(平成17)年度までの関東インカレ4x400mR5年連続入賞などが目立った戦績で個人での関東インカレの入賞はわずかで、2004(平成16)年度、400mHの能登裕美が関東インカレ唯一の優勝であった。しかし、2008(平成18)年度に故障から復活した城下麗奈が100mHで優勝、日本インカレで2位となった。日本選手権も2位となっており、卒業後、広州アジア大会にも出場している。翌年度以降、川舩愛美(2009(平成21)年度・100mH)、池田有希(2010(平成22)年度・400m)、伴野里緒(2011(平成23)年度・200m)が関東インカレを制すると、2011(平成23)年度に、鳥原早貴が400mで1991(平成3)年度の笹尾美代子以来、20年ぶりに日本インカレを制した。鳥原(早)は2012(平成24)年度は日本インカレで2位に留まったものの、2013(平成25)年度に再度日本インカレを制している。関東インカレも2勝しており、鳥原(早)のリーダーシップで2013(平成25)年度に4x400mRでも日本インカレ初優勝を遂げている。2014(平成26)年度には藤森安奈が仁川アジア大会に現役学生として初めて代表となり、4x100m1走として出場、3位入賞に貢献した。日本インカレも100mと4x100mRを制した。

第4節 佐藤大志の活躍で関東インカレ38年ぶりの1部昇格

女子短距離が結果を残すとともに、男子部員も徐々に増えてきて、高校以降も競技を続けたいと考える受験生が本学の門を叩くことが増えていった。2003(平成15)年度に開学した相模原キャンパスにある理工学部の学生が多いのがこの時代の特徴である。その中で、高い競技力を有し、本学でさらに力を伸ばしたのが、佐藤大志である。2009(平成21)年~2012(平成24)年まで関東インカレ2部110nH で4連覇。2012(平成24)年度の関東インカレでは100m、200mも制し、個人だけで24点を獲得。リレーにも貢献し、大車輪の活躍であった。これが原動力となり、他の短距離、中長距離、走幅跳などのフィールド勢も頑張り、38年ぶりの1部昇格を2位で勝ち取った。実に箱根駅伝よりも長いブランクの末の1部復帰であった。惜しむらくは、昨年度もチャンスがあっただけに、佐藤を関東インカレ1部の舞台に立たせたかったという思いである。佐藤はこの年のロンドン五輪B標準記録まであと0.04秒まで迫ったが、標準突破はならず、本学初の五輪出場はならなかった。

第5節 ホームグラウンドが相模原キャンパスに完成

1980年代後半からホームグラウンドを失った陸上競技部は、公営競技場を渡り歩くこととなった。1990年代前半までは大和スポーツセンターと織田フィールド(代々木)を定期的に使っていたが、1999(平成11)年度頃からは大和のみとなり、強化指定部となった2004(平成16)年度以降は町田競技場を主に使用するようになっていた。公営ゆえに使用できる日や使用時間に制約があり、練習環境の充実は陸上競技部現役、OB・OGを含めた悲願であった。そんな中で箱根駅伝出場、シード権獲得で最高位5位まで上り詰めた陸上競技部に対して、2012(平成24)年3月9日、相模原キャンパス内に新たなグラウンドの設置が実現、開所式が行われた。明るいブルートラックが印象的なこのグラウンドは全天候型400mトラックで曲走路・バックストレート4レーン、ホームストレート8レーンで、トラックの周りには傾斜のついたクロスカントリーコースもあり、長距離、短距離ともに飛躍的に練習環境が向上した。ホームグラウンドが利用できるようになったのはおよそ四半世紀ぶりの事であった。

第6節 箱根駅伝強豪校へ駆け上がる

2008(平成20)年度に箱根駅伝に復活した本学。第85回大会は選手層も薄く、故障を抱え調子の上向かない選手を起用せざるを得ず、苦戦し、復路では繰り上げのピンチであったが、8区小林(剛)、9区辻本の快走で繰り上げを回避、10区宇野が34年ぶりにフィニッシュへ襷が戻る歓喜のフィニッシュであった。しかし、完走チーム中最下位の22位は21位上武大とわずか6秒差であった。
2009(平成21)年度は予選会を8位と関東インカレポイントの適用を受けない位置での通過を果たした。本大会は1区出岐、2区米澤(類)がそれぞれ区間8位、5位と絶好の滑り出しで波に乗り、シード権圏内の8位でフィニッシュ。41年ぶりのシード権獲得を本大会復帰2回目で成し遂げた。
2010(平成22)年は出岐が2区区間4位で好発進、復路も6区小川、9区小林(剛)が区間上位でまとめて、4校による8位争い。1校はシード落ちする激戦のシード権争いを10区小林(駿)が9位で制し、2年連続のシード権獲得。
2011(平成23)年度は出岐がエースが集う花の2区で本学初の区間賞、日本人歴代4位の好記録で3位中継。往路を7位で終えると、復路も余裕を持って大手町に戻り、10区大谷がスパートを決めて過去最高位7位を上回る5位。
2012(平成24)年度は出雲駅伝優勝の勢いを得て、優勝戦線に切り込む予定が出岐が不調で2区に起用できず。それでも手堅く襷を繋ぎ3区久保田、5区松田の粘り強い走りで往路は6位。復路も8区髙橋が区間賞、10区出岐は不調で振るわなかったが4年連続のシード権を確保する8位。
2013(平成25)年度は過去最高レベルだった1区を1年一色が一時は先頭を引っ張る快走で区間6位、2区神野もエース区間で6位と健闘、往路は最高位タイの5位。復路も7区小椋の区間2位、9区藤川が区間3位と安定した走りで最高位タイの5位。シード権連続獲得回数を5に伸ばした。

第7節 本学初の箱根駅伝区間賞を花の2区で獲得 出岐雄大

2011(平成23)年度の3年次にエースの集う「花の2区」で本学初の区間賞に輝いたのが出岐雄大である。1年時から4年連続で箱根駅伝を走った出岐は1年次に1区8位で、その後の大会の快進撃に繋げた。
出岐の名が最初に轟いたのが、2010(平成22)年10月に行われた高島平ロードレース20kmである。この大会で出岐は58分51秒の大会タイ記録で優勝した。この58分台の記録がその後の駅伝での活躍を予感させるものであった。2011年1月の箱根駅伝では2区を走り、好条件に恵まれ1時間7分台の記録で区間4位。東日本大震災の影響で中止となった日本学生ハーフの代替レースとして行われた4月のアシックスチャレンジ(ハーフマラソン選考)で優勝。深圳ユニバーシアードでも6位入賞。11月の全日本大学駅伝でも2区で本学初の区間賞で2012年1月の箱根駅伝を迎える。
先頭と1分27秒差で襷を受けた出岐は12秒前に出発した、東海大エースで2区の日本人歴代3位の記録を持つ村澤の動きを見て、「今日は自分の方が動いている」と直感。出岐は徐々に差を詰めていき、10kmを28分35秒のハイペースで通過し、狩場インターあたりで村澤を捕える。しばらく並走が続いたが、2位集団に追い付き、権田坂を上り切った所で東洋大の設楽(啓)がスパート。集団が崩れ、出岐は設楽(啓)を追うことで村澤を突き放し、3位で追走。設楽(啓)は1位の早大の平賀を捕えたが、出岐は2位早大と6秒差の3位で中継。前半の差を詰めた走りでトータルでは設楽(啓)を上回る1時間7分26秒、日本人歴代4位の大記録を残した。
その勢いで3月のびわ湖毎日マラソンに挑戦。ロンドン五輪選考となるレースで先頭集団で積極的な走りを見せる出岐は現役・OB通じて初の五輪出場の可能性をも感じさせるレースぶりで9位。2時間10分02秒の日本学生歴代3位の記録でフィニッシュ。十分なマラソン練習を行わずに出したこの記録は将来の可能性をさらに広げるものであった。
しかし、この無理をしたともいえるマラソンレースが出岐を不調に陥らせることになり、関東インカレは欠場。日本インカレでは5000mで6位入賞、出雲駅伝では6区3位でフィニッシュテープを切る活躍を見せるが、箱根駅伝の20km超のロードレースではごまかしが効かず、10区に起用されたものの区間14位と実力からはかけ離れた結果で4年間の対校戦を終えた。
出岐は本学を箱根駅伝の常連校からシード権争いをする大学に留まらせず、上位争いをするチームにまで押し上げた大エースであり、多くの学生、校友の応援を集めるものであった。中国電力で競技を続ける出岐がリオデジャネイロ五輪、東京五輪の星となることを願いたい。

第8節 大会最速、完全なる箱根駅伝初優勝

2014(平成26)年度の駅伝シーズンは出雲駅伝が台風直撃により三大駅伝初の中止となった。各校ともシーズン初めの実力を試す機会を失ったり、駅伝経験のない選手に大学駅伝を経験させることができず、全日本大学駅伝、箱根駅伝を迎えることとなり、各チームに影響を与えた。それにより、シーズン最初の駅伝となった全日本大学駅伝では1区一色が区間6位で発進、4区川崎が区間賞などで2位で推移。アンカー8区神野が粘りの走りを見せ、終盤に明大に捕えられるものの、過去最高位3位入賞。2015(平成27)年1月の第91回箱根駅伝は全日本大学駅伝で4連覇を達成し、実力を見せつけた駒大が優勝候補の筆頭の中、本学も藤川主将を中心に、前回1区で活躍した一色、故障から復活した久保田に山の適性を大会前から示していた神野を軸として、上位入賞、優勝候補の一角として、大きな期待感を持って箱根を迎えた。 1区から駒大、東洋大、明大とともに本学も久保田が先頭集団で激しい争いを繰り広げ、1位と1秒差の2位で中継。2区一色は冷静にペースを刻み、戸塚の丘でペースアップし3位で中継。3区渡邊(利)の堅実な走りの後、4区田村が区間新の快走で2位中継。そして5区神野がハイペースで箱根の山に突入。軽やかに山を駆け上がり、参考記録となった「新・山の神」柏原(東洋大)の区間記録を上回る記録で2位に4分59秒差をつける快走で往路初優勝。復路も大量リードをさらに広げた。6区村井が区間2位で駆け降りると7区小椋、8区髙橋、9区藤川で3連続区間賞。特に9区藤川は区間記録に3秒と迫る快走だった。10区安藤が区間2位で栄光の初優勝のフィニッシュテープを切った。参考記録となった従来の大会記録を往路、復路、総合すべてで実質的に上回り、2位とは10分50秒差、これは平成時代では最大差、1㎞あたりのペースも初めて3分を切り、他校を圧倒する勝利であった。 この勝利の要因は入試制度の整備、生活環境の保証、指導体制の確立に練習環境が向上しての結果であると考えられる。入試制度では2004(平成16)年度から強化指定部制の入試制度が導入され、基本8名の中長距離選手が部と大学側の意向で獲得できるようになった。有力選手の勧誘の基礎が整備された。生活環境では前述の町田寮での生活が保証された。指導体制では、原晋監督のビジネス的な選手管理、指導方法が年月とともに浸透し、就任3年目の危機を部のみならず、大学、部関係者の支援で乗り越え、実力を伸ばし、箱根駅伝で戦えるだけの戦力、選手層を育てることができた。練習環境については1980年代に失った練習環境はすぐに支援されることはなかったが、従来の環境の中で、箱根駅伝復活、シード権獲得まで成長したことを認めて頂き、相模原キャンパス内に陸上競技場(ホーム8レーン、バック・曲走路4レーン、クロスカントリーコース付設)が設置され、練習環境も素晴らしいものとなった。旧来から部と部を取り巻く関係者の競技への思い、箱根駅伝への思いは強いものがあり、それは一貫していたが、それが有効な強化策に繋がらず、箱根駅伝へ届かずに悔しい思いを続けてきたが、2000年代に入って、環境面の整備に繋がり、様々な要素が改善されたことで強化が軌道に乗ったものである。言うなれば、青山学院という大学の組織力や魅力などの基礎の上に結実した偉業であった。

2004年度
平成16年度
強化指定部制導入。多くの有望選手獲得可能に。町田寮の開寮で、生活環境の向上。専任指導者の原監督就任で指導環境も向上した。

関東インカレ2部36位。

東北学院戦は本学が勝利。

箱根駅伝予選会は16位。佐藤良仁が再び関東学連選抜で箱根駅伝出場。1区17位。



2005年度
平成17年度
関東インカレ2部16位。

箱根駅伝予選会は13位と3つ順位を上げた。仲村一孝が関東学連選抜で箱根駅伝4区15位。

東北学院戦は東北学大が勝利。





2006年度
平成18年度
関東インカレ2部6位。

箱根駅伝予選会は16位と順位を落とす。米澤豪が関東学連選抜で箱根駅伝10区5位と快走。

東北学院戦は東北学大が勝利。



2007年度
平成19年度
関東インカレ2部8位33点。

箱根駅伝予選会は競走時間で9位と出場権獲得圏内に入ったが、関東インカレポイントの減算で10位に終わり出場権を逃す。横田竜一が関東学連選抜で箱根駅伝10区9位。チームも総合4位で横田が4位でのフィニッシュテープを切った。

東北学院戦は東北学大が勝利。



2008年度
平成20年度
関東インカレ2部14位19点。城下麗奈が女子100mHで優勝。

日本インカレでは城下麗奈が女子100mHで2位。日本選手権も2位となった。

箱根駅伝予選会は3校増枠の大きなチャンス。故障者が多く昨年度よりチーム状態は良くなったものの、増枠の恩恵を得て、最後の枠に滑り込み、結果発表では大歓喜。33年ぶりの本大会出場権獲得。

箱根駅伝は4年の主力が力を発揮し切れず、繰り上げのピンチ。しかし復路の8区小林、9区辻本が区間上位で繋ぎ、繰り上げの危機を脱する。10区宇野が33年前の10区途中棄権の悲しみを乗り越える笑顔で34年ぶりの完走を果たした。完走チーム中最下位の22位。21位上武大とは6秒差。

東北学院戦は本学が勝利。



2009年度
平成21年度
関東インカレ2部6位45点。佐藤大志が男子110mH 優勝。今回から4年連続優勝を果たす。川舩愛美が女子100mH優勝。

箱根駅伝予選会はインカレポイントの適用を受けない8位で予選突破。

箱根駅伝は昨年度の悔しさを糧に20km越えロードに適応した安定した走りでよく襷を繋ぎ8位、41年ぶりのシード獲得。昨年度の完走校内最下位からのジャンプアップ。

東北学院戦は東北学大が勝利。



2010年度
平成22年度
関東インカレ2部4位43点。池田有希が女子400mで優勝。

11月、OGの城下麗奈が広州アジア大会出場。

箱根駅伝は2区で出岐雄大が区間4位で流れに乗り、最終10区ではシード争い。他校のコース間違いもあり劇的な幕切れで9位。連続シード獲得。

東北学院戦は本学が勝利。



2011年度
平成23年度
関東インカレ2部3位54点。伴野里緒が女子200m優勝。

日本インカレでは男子110mHで佐藤、女子400mで鳥原早貴が優勝。

箱根駅伝エース区間2区で出岐が本学初の区間賞獲得。総合5位で44年ぶりに最高位更新。全日本大学駅伝2区でも区間賞を獲得。3月のびわ湖マラソンでは2時間10分02秒の日本学生歴代3位の記録で五輪代表に迫った。

3月に相模原キャンパス内に400m全天候型トラックが竣工。ホームグラウンドを持つのは陸上部関係者の悲願であった。1980年代後半からの綱島の使用できない状態から約四半世紀ぶりに脱却した。

東北学院戦は東日本大震災の影響で中止。



2012年度
平成24年度
関東インカレで2部2位87点(トラック優勝77点。)で38年ぶりの1部昇格が決定。トラック優勝。佐藤大志が大車輪の活躍。男子100m・200mそして本職の110mH4年連続優勝と個人で24点獲得。リレーにも貢献。女子は4x400mRで初制覇。

日本インカレでは佐藤が男子110mH で2連勝。これは本学初の快挙である。この年のロンドン五輪B標準にもあと0.04秒と迫るが、五輪出場はならず。また鳥原(早)が女子400m2位、女子4x400mRでも東大阪大に次いで2位。

出雲駅伝で本学初の対校駅伝を優勝。

箱根駅伝はエース出岐の不調が影響したものの、総合8位でシード確保。

2年ぶりの開催となった東北学院戦は本学が勝利。



2013年度
平成25年度
相模原キャンパスに通う文系学部の1、2年生が青山キャンパスに移転。

関東インカレは男子1部16位7点で1部残留はならず。鳥原早貴が400m、藤森安奈が100mで優勝。

日本インカレで鳥原(早)が2年ぶりの優勝。女子4x400mR初制覇。藤森が女子100mで2位。

箱根駅伝は過去最高レベルだった1区で1年生一色が区間6位の快走。2区神野、7区小椋、9区藤川の主力が機能し、総合力で勝ち取った5位。

東北学院戦は同点ながら上位入賞者の差により本学の敗北。



2014年度
平成26年度
関東インカレは男子2部3位70点。3000mSC、ハーフマラソンでの優勝を含む、1500m以上の中長距離種目で全入賞を果たした。女子1部7位42点、女子4x100mRで層の厚さを見せつけ優勝。

8月、世界ジュニア(米オレゴン州ユージン)に高森真帆が4x100m4走として6位入賞。

9月、日本インカレでは藤森安奈が女子100m優勝。

10月、仁川アジア大会に藤森が4x100m1走として3位入賞。

出雲駅伝は台風で中止、全日本大学駅伝は過去最高位3位。

箱根駅伝は1区久保田2区一色が他校のエース格と互角に渡り合い、3区渡辺利が粘りの走りで4区田村は区間新、5区神野が山の神・柏原の参考区間記録を上回る快走で往路初優勝(実質往路新)。6区村井が区間2位、7区小椋8区高橋9区藤川が3連続区間賞。10区安藤も区間2位で復路優勝・総合優勝の完全優勝(ともに実質新記録)。

東北学院戦は本学が勝利。



2015年度
平成27年度
関東インカレは男子2部3位72点。ハーフマラソンで池田生成がフィニッシュ直前に先頭選手を交わし劇的な優勝。女子1部9位27点。

出雲駅伝は3年ぶり2回目の優勝。全日本大学駅伝は東洋大との競り合いに屈し2位。

箱根駅伝は39年ぶりの全区間首位通過の往路・復路・総合の完全優勝で2連覇。1区久保田が歴代3位のタイムで区間賞、MVP金栗杯獲得。2区一色が区間3位で首位キープ。3区秋山、4区田村が連続区間賞でリードを広げる。5区神野が故障明けながらよく粘り日本人1位で往路優勝。6区小野田が区間タイ記録で快走区間2位。史上初の7区4年連続出場の小椋、8区下田も区間賞。9区中村は暑さに耐え区間7位で繋ぐと10区渡邉(利)が区間賞でフィニッシュ。

東北学院戦は本学が勝利。



2016年度
平成28年度
関東インカレは男子2部3位68点およびトラック優勝。5000mで一色、ハーフマラソンで池田優勝。池田は2連覇。女子1部4位48点。100mで藤森が優勝および1・2・3位(藤森安奈・足立紗矢香・島田沙絵)の表彰台独占の快挙。4x100mリレーでも優勝を奪還。

日本選手権では5000mで一色が4位と大健闘。男子長距離種目での入賞は本学初の快挙。

日本インカレでは女子100mで藤森が優勝。4x100mリレーでも3位。走幅跳では今濱美咲が6位。4x400mリレーで7位。男子5000mでは一色と田村がそれぞれ3位、6位入賞。800mでは齋藤未藍がこの種目38年ぶり6位入賞。

出雲駅伝は2連覇達成。全日本大学駅伝は1区8位から2区田村が首位へ押し上げる。その後早大に先頭を取られ、7区まで一進一退を繰り返しながら追いつけないまま最終8区へ。エース一色が早大を抜き去ってフィニッシュ。悲願の初優勝となった。

箱根駅伝は3年連続の往路・復路・総合の3連覇および年度内駅伝3冠の快挙達成。1区梶谷で4位好発進。2区一色が2位中継。3区秋山で区間賞首位へ。4区森田も区間2位、5区貞永が先頭を守り往路を制する。6区小野田が1年生ながら区間2位。7区田村が後半変調しペースを落とすものの、8区下田が区間賞、9区池田、10区安藤と危なげなく先頭を守りフィニッシュ。

東北学院戦は日程調整ができず、開催されない事態となった。



2017年度
平成29年度
関東インカレは男子2部7位31点。男子800mで齋藤が1分48秒74の大学新記録で優勝。ついに太田徹の大学記録を48年ぶりに更新した。男子3部でも110mHで岸一輝が優勝。女子1部9位37点。優勝は4x100mリレーの4回目の優勝のみに留まったが入賞数が9と健闘した。

日本選手権では男子800mで齋藤が6位。この種目での入賞は杉崎孝以来42年ぶり。

日本インカレでは男子800mで齋藤が4位入賞。女子は100mの足立紗矢香、走幅跳の今濱美咲、4x100mリレーの3種目で入賞。

出雲駅伝は東海大のルーキー世代の充実ぶりに2位と敗れ3連覇はならなかった。全日本大学駅伝は1区11位と出遅れ徐々に順位を上げるが、神奈川大、東海大に遅れを取り3位。

箱根駅伝は完全優勝を逃すものの、総合4連覇および復路4連覇。1区鈴木塁が5位。2区森田が区間賞で2位中継。3区田村で区間2位、4区梶谷区間9位で2位のまま5区竹石へ。足が痙攣しストレッチするなど力走。東洋大に一歩及ばず往路4連覇を逃す。復路は6区小野田区間賞で首位奪取、7区林区間新で区間賞、8区下田区間賞で首位を盤石なものにした。9区近藤、10区橋間でVロードを突き進んだ。

東北学院戦は2年ぶり開催、男子長距離参加せず勝利。



2018年度
平成30年度
関東インカレは男子2部10位28点。1500mで生方敦也が優勝。入賞数は7。女子1部11位28点。100mで足立が優勝。

日本インカレでは男子は5000mで吉田圭太が3位、10000m吉田祐也が3位。女子は100mHで金井まるみが2位。100m足立6位、走幅跳で佐々木明日香が6位。4x100mリレーで4位。

出雲駅伝は2年ぶり3度目の優勝。全日本大学駅伝は2年ぶり2度目の日本一獲得。1区小野田が3位で発進すると5区吉田祐、6区吉田圭の連続区間賞で追撃し、7区森田が区間2位で首位奪取、8区梶谷が好走、区間3位でフィニッシュテープを切る。

箱根駅伝は5連覇および史上初の2度目の年度内駅伝3冠を狙うも東海大に敗れ、総合2位。1区橋詰で区間3位と好位置につけるも2区梶谷が他校エースの前に10位と順位を落とす。3区森田が区間新区間賞で首位奪取。4区岩見が3位へ順位を下げ、5区竹石は前回ほどの走りができず6位と順位を落とし往路を終える。6区小野田が現コース初の57分台区間新区間賞で追い、7区林が区間賞、8区飯田区間2位、9区吉田圭区間賞、10区鈴木区間2位と5名とも区間2位以内の必死の追撃を見せるが東海大に届かず、5年連続復路優勝のみに留まった。

東北学院戦は本学が勝利。対校戦に長距離種目が設定されなかった。



2019年度
令和元年度
関東インカレは男子2部6位35点。110mHで中野昴がこの種目4年ぶりに優勝。1500mで3名入賞(谷野航平2位、生方敦也4位、中倉啓敦7位)。女子1部7位49点。200m3名入賞(宮﨑亜美香3位、藤井彩乃6位、伊藤有那7位)および100mH3名入賞(金井まるみ3位、中尾あゆみ5位、松田彩佳6位)。

日本インカレでは男子は1500mで谷野が大学新記録で4位。5000mで吉田圭が連続の3位入賞。女子は200m宮﨑6位、100mH金井4位、4x100mリレーで4位、4x400mリレーで6位、三段跳金子史絵奈6位。

出雲駅伝は岸本大紀、神林勇太の区間賞など善戦も5位。全日本大学駅伝は7区吉田圭で首位に立つも最終8区で東海大にかわされ2位。

箱根駅伝は2年ぶり5度目の総合優勝を10時間45分台の大会新記録で奪還。往路優勝(大会新)、復路2位(大会新)。1区吉田圭で7位で繋ぐと2区岸本が1年生日本人最高記録で首位に立つ殊勲の走り。3区鈴木が区間4位好走ながら2位に下がるも4区吉田祐が区間新区間賞の驚異の走りで首位を奪い返す。5区飯田が区間2位の好走で3年ぶり往路に制する。6区谷野が区間3位で首位を守ると7区中村区間4位、8区岩見区間賞にあと1秒の区間2位、9区神林が区間賞と勝利を決定づけ、10区湯原が区間5位で5度目の優勝のテープを切った。

2月の別府大分毎日マラソンで吉田祐也が2時間8分30秒の日本学生歴代2位の記録で3位(日本人1位)。

東北学院戦は本学が1点差の勝利。5000mでは東北学大選手のみの出場で、一人棄権。もし出場、完走していれば同点、1位の数の差で敗れていた所だった。



2020年度
令和2年度
前年から中国で発生していた新型コロナウイルス(COVID-19)感染症が拡大し、4月から6月まで競技会開催が認められず、関東インカレは5月開催が中止となった。東京五輪も翌年に延期となった。7月から少しずつ競技会実施が再開されたが、中止となる競技会が多く、開催されても出場枠がわずかで、競技会出場自体が困難な状況が続いた。

その中で行われた日本インカレは無観客試合、ターゲットナンバー(出場人数枠)の設定により、標準記録以上の水準記録が求められた。競技自体にもフィールド種目に試技数の制限がされた。
男子は5000mで吉田圭太が8位、3年連続の入賞を達成した。女子は1年の髙島咲季が400mで本学7年ぶりの優勝。4x400mリレーでもすべて1年生のオーダーで7年ぶりの優勝。100mHで中尾が6位、400mHで青木穂花が7位、4x100mリレーで7位となった。

関東インカレでは①長距離以外の競走、フィールド種目、②混成・オープン種目、③長距離・競歩(ハーフマラソンは実施されず)の3日程で実施。史上初の対校戦なし、個人種目は1種目のみとなり、日本インカレに出場した強豪選手の回避が目立った。
男子では3000mSCで小原響が本学6年ぶりの優勝。100mで安田隼人が本学8年ぶりの3位以内、3位となった。女子は9種目で入賞。400m3位の吉中日向子は同月のU20選手権で2位となった。4x400mリレーは髙島不在で2位。5年ぶりの3位以内となった。

日本選手権では女子400m(10月1~3日・新潟)で髙島が3位。女子4x400mリレー(10月16~18日・横浜)で9年ぶりとなる3位となった。また男子10000m(12月4日・長居)ではOBの田村和希(住友電工)が日本新記録で3位となった。

出雲駅伝は新型コロナウイルス感染症拡大で中止。全日本大学駅伝は2区で14位と出遅れるも、5区佐藤一世が1年生で区間新区間賞で追撃、7区神林で首位を奪取したが、最終8区で4位に後退した。

箱根駅伝は総合4位と7年ぶりのトップ3落ちとなった。1区吉田圭はスロースタートに戸惑いながらも6位。2区中村、3区湯原ともに区間14位。戸塚で13位、平塚で11位通過。4区佐藤が区間4位と好走するも10位に留まり、5区竹石が区間17位で往路12位と10年ぶり二桁順位。6区髙橋が区間3位で再スタート10位。7区近藤、8区岩見、9区飯田で7位、5位、4位と追撃、順位を上げた。10区中倉が3位東洋大に追いつき一度は離したが抜き返され総合4位フィニッシュ。復路優勝を勝ち取り片道優勝は7回連続(91~93回往復、94、95回復、96回往、97回復)とした。初優勝の第91回から6回連続で区間賞を獲得してきたが今大会は区間賞獲得者がいなかった。前回2区岸本、9区神林が故障で起用できなかった。

東北学院戦は東京五輪開催(その後、延期)による会場確保困難および新型コロナウイルス感染症拡大の為、中止となった後、総合定期戦自体が中止となった。



2021年度
令和3年度
新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により、依然競技会開催には制約がかかった。関東学連・日本学連主催試合は無観客試合が続き、関東インカレ、日本インカレ、箱根駅伝は観戦できなかったが、関東インカレは2年ぶりに5月に対校戦を実施し、日本インカレはターゲットナンバーによる出場選手数の制限が行われず、前年から状況が改善された。

この年最大のトピックは石川優の東京五輪代表選出である。現役のみならずOB・OGを含めた本学陸上競技部部員の五輪代表選出は史上初の快挙であり、しかも国内開催の五輪での達成であった。3月に行われたシレジア(ポーランド)世界リレーの選手選考会で100m3位となり、シレジア世界リレー代表に選出された。シレジア世界リレーには世界的に拡大していたコロナ禍の影響で、既に東京五輪の出場権を持った国を含む多くの国が出場を見合わせおり、レベルの下がった大会ではあったが、日本女子代表は4x100mRで4位入賞を果たし、東京五輪の出場権を獲得した。石川は世界リレーでの出場機会はなかったが、世界リレーメンバーとして、東京五輪出場権に大きく近づいた。日本選手権では100m6位、200m6位に留まったものの、100m:11秒47 200m:23秒44の標準記録を切る選手は現れず、石川を含む世界リレーメンバーが東京五輪の出場権を得た。東京五輪では8月5日の女子4x100mR予選の出場は叶わず、チームも1組7着で予選敗退に終わった。


関東インカレでは男子2部は西久保遼がハーフマラソンで本学勢6年ぶりの優勝などがあったが、対校戦では2部12位と2年前から順位を落とした。女子1部は石川優の100m、200mの2種目制覇、800mでヒリアー紗璃苗が2位、400mHで青木穂花が2位、有賀知春が3位、4x100mR(塩田夏鈴・久野なつ・金子ひとみ・石川優)で2位など、短距離、ハードル、リレー、跳躍で数多くの入賞を積み重ね、対校戦3位を占めた。


日本選手権では男子3000mSCで小原響が5位、女子100m、200m(6月24~27日・長居)で石川が両種目で6位入賞を果たした。マラソンは第105回大会より「JMC(ジャパンマラソンチャンピオンシップ)シリーズ」のシリーズ総合成績1位の選手を日本選手権者とすることになったが、OBの吉田祐也(GMOインターネットグループ)が5位となった。ここ数年女子で入賞を果たしているリレー種目は中止となった。


日本インカレでは男子10000mで近藤幸太郎が本学長距離種目で初の優勝を飾る。女子100m石川4位、400m髙島咲季2連覇(この種目2連覇は本学初。2勝は第80回・第82回の鳥原早貴以来8年ぶり)、800mヒリアー4位、100mH中尾あゆみ4位、400mH青木4位、有賀7位、4x400mR吉中日向子・金子(ひ)・青木・髙島2位、三段跳金子(史)3位と入賞を重ね、対校戦4位を占めた。


出雲駅伝は1区近藤の区間賞で首位発進したが2区で5位に順位を落とし、東京国際大の独走を許した。6区横田の力走で総合2位を占めた。全日本大学駅伝は1区志貴が4位で発進したが、2区で10位まで順位を落とす。4区髙橋勇輝、5区佐藤一世の連続区間賞で3位まで順位を戻す。7区近藤が区間2位の快走で2位に躍り出たが最終8区飯田が駒大と大接戦の末8秒差で2位となった。


箱根駅伝は1区志貴が区間5位で好スタートを切ると2区近藤が区間7位(日本人3位)で2位に浮上。3区ルーキーの太田蒼生が東京国際大の実力者・丹所に食らいつきラストで突き放す殊勲の走りで首位浮上、4区飯田も区間3位でたすきを繋ぐと5区ルーキー若林も区間3位で往路優勝。復路6区髙橋が区間7位で首位を守ると、7区岸本が区間賞、8区佐藤も区間2位と後続を突き放していき、9区中村唯翔が史上初の1時間07分台で区間賞区間新、金栗賞を受賞する圧巻の走り。10区中倉も区間賞区間新で2年ぶり6回目の総合優勝を大会新、復路新の完全優勝で飾った。第91回大会の2位との差10分50秒を1秒上回る10分51秒差での圧倒的な優勝であった。


東北学院戦は2年連続で総合定期戦自体が中止(新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大により)となった。


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